3つの心を持つ日本のシェイクスピアリアン 研究者、翻訳家、剧作家の颜をもつ教授

没后400周年を机に、あらためて热い视线が注がれているウィリアム?シェイクスピア(図1)。演剧でも映画でもテレビでも书籍でも、関连のコンテンツが続々登场しています。ただ、名前は知っているけれど舞台に足を运ぶ机会はなくて&丑别濒濒颈辫;&丑别濒濒颈辫;という人もとりわけ日本には多いのではないでしょうか。
今回スポットをあてるのは、イギリスから远く离れた日本においてシェイクスピア研究を牵引してきた総合文化研究科の河合祥一郎教授です。その大きな特色は、ただの研究者ではないこと。研究者の颜のほかに、翻訳者、そして剧作家の颜も併せ持っているのです。
芝居の上演を意识した翻訳

図1:『シェイクスピアの正体』の表纸
シェイクスピアは、1564年にロンドンの北西に位置するストラットフォード?アポン?エイヴォンに生まれました。「ハムレット」や「ロミオとジュリエット」などの数々の戯曲を残したイギリスの代表的な剧作家。シェイクスピアの半生は謎が多く、シェイクスピアは実は別人だったとの説が存在しています。河合 祥一郎『シェイクスピアの正体』新潮文庫?2016年より。
「一般的な研究者は机に向かうのが仕事ですが、私の场合はまず芝居の上演という目的があり、そのために翻訳と研究がある、という感覚です。过去にどういう上演があり、どういう翻訳があり、どういう研究があったのかを长いレンジで捉え、それを演剧の现场に反映する。现场で得た知见は次の研究と翻訳にフィードバックしていく。その繰り返しです」。
翻訳家?剧作家としての教授にとって、原语のリズムは见逃せません。シェイクスピア作品では韵を踏む表现(押韵表现)が频出しますが、意味に重心が置かれた従来の日本语訳ではあまり反映されてきませんでした。学生时代に通訳の手伝いで通った富山県利贺村の稽古场で女优?白石加代子さんの演技に衝撃を受けて以来、役者が魂から台词を発するのに接してきた教授は、台词の意味内容のみならず表现形式も重要と考え、近年の翻訳では原文の押韵表现の全てを訳出しています。
「大変な作业で、ひと晩考えてもうまい訳が出てこないこともあります。しかし、これはやはり研究と翻訳と上演という3方向からシェイクスピアに接してきた私がやるべき任务。そう覚悟を决めています」(図2)。
シェイクスピア研究の集大成
いわば叁位一体の活动の成果を、教授はこのほど一般向け书籍(『シェイクスピア 人生剧场の达人』中公新书?2016年)にまとめました。そこで详らかにした事実の一つが、时空を操る「シェイクスピア?マジック」は、日本の狂言と相通じること。舞台装置をつくりこむ近代演剧と异なり、シェイクスピア剧では役者がいるだけで、缎帐もなし。全ては観客の想像力に任されます。
「「ヘンリー5世」の冒头に「役者が马と言ったら马があると思ってください」という台词があります。これはまさに、役者が舞台を一周し、「何かといううちはや都じゃ」という狂言の世界と同じです。一言言叶にするだけで、时间は飞ぶし、场所も飞ぶ。役者と客が空间を共有するのが演剧の本质だという考え方が息づいているわけです」。

図2:43種類も存在する「ハムレット」の有名な台詞“To be, or not to be, that is the question.”の日本語訳
訳文を调べ上げ、42种に及ぶパターンを検讨した后、翻訳者?剧作家として教授が到达したのが、「生きるべきか、死ぬべきか、それが问题だ」(『新訳ハムレット』角川文库?2003年)でした。いまではこれが定番となっていますが、実は教授以前にこの表现を使った翻訳は存在しませんでした。
Myriad-minded Shakespeare(万の心を持つ~)という言葉があるように作家本人の正体がつかみにくいのは、エリザベス朝ではカトリックとプロテスタントの宗教対立が強かったためではないか、正義を目指す人間が「あれかこれか」に苦しむのが悲劇であり、多様な人々が「あれもこれも」と違いを認めて終わるのが喜劇ではないか、「心の眼」で見た真実を映し出すのが鏡であり、現実においてその鏡として機能するのが演剧ではないか……と、示唆に富む論考は他にも目白押し。高校2年のときにラジオ「百万人の英語」で初めて意識して以来、40年に亘って取り組んできた成果を、エッセイではなくあくまで研究紹介という形で凝縮した一冊です。
シェイクスピア研究の古今东西

図3:As you like it(お気に召すまま)の表紙
「高校の頃、英語が好きで、As you like itの原書を読んでいたんです。それを見た悪友が「どうせエロ本だろ?」というから、「いや、英語の本だよ」と表紙を見せたら、「ほら、やっぱりそうだ」と言われましてね。そのやりとりはなぜかいまでもよく覚えています」と教授。2016年9月上演の「まちがいの喜劇」(於:東池袋あうるすぽっと)の次に新訳?演出を担当するのは、教授にとって忘れられないその一作になるかもしれません。
どう解釈するかが主だった昔とは违い、现代のシェイクスピア研究の流れは、世界各国でどのようにシェイクスピアが受容されているかに移っています。教授の仕事もこの流れを汲むもの。
さて。我々は、没後400年のいまこそシェイクスピア作品に踏み込むべきか、それともやりすごすべきか。教授とこの本を知ってしまったあなたにとって、それはもはや問題ではありません。……などと力んで書きたくなるのが人情ですが、シェイクスピア劇場の達人たる教授は、きっと“As you like it”と笑うでしょう。
取材?文:高井次郎
*冒头の写真は彩の国シェイクスピア?シリーズ第13弾『タイタス?アンドロニカス』上演の一场面です。
(写真提供:彩の国さいたま芸术剧场、写真家:高嶋ちぐさ)