行方不明のユリ図谱の原本见つかる研究成果

行方不明のユリ図谱の原本见つかる
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行方不明のユリ図谱の原本见つかる
1.発表概要:
現在、東京大学総合研究博物館で公開中の特别展示?维新とフランス -日仏学术交流の黎明?展において、フランス?パリから借り受け展示公開中の?和洋ユリ彩色図譜?について、その由来が明らかになった。
2.発表内容:
現在、東京大学総合研究博物館で公開中の日仏修好通商条約締結百五十周年記念特别展示?维新とフランス -日仏学术交流の黎明?展(会期:3月28日~5月31日)において、フランス?パリから借り受け展示公開中の?和洋ユリ彩色図譜?について、その由来が明らかになった。
問題の図譜は、特別展の企画者である西野嘉章(東京大学総合研究博物館教授)およびクリスティアン?ポラック氏(株式会社セリク代表取締役社長/フランス社会科学高等研究院日本研究所客員研究員)が借り受け、展示中の?ミシェル?サヴァティエ?コレクション?のひとつで、ユリを描いた彩色図譜である。図譜は長い紙を折りたたんだ折帖形式でつくられており、両面に和紙に書かれたユリの彩色図が50枚ほど貼り付けてあり、両端には木製の板がつけられている。この図譜は制作者、制作年代ともに不明のものとして展示してあるが、静岡県在住のユリの育種家で、江戸時代の本草書についても詳しい大石勝彦氏が調べたところ、その経緯が明らかになった。
国会図書館には、?資生圃百合図?と命名されたユリの図譜が収蔵されている。これは小石川植物園の画工であった加藤竹斎が模写したものである。その原本は、江戸時代の旗本で博物画家でもあった馬場大助が描いたものと推定され、幕末に来日した園芸家のクラマーが所有していた。これを著名な博物学者であり、クラマーとも親しかった伊藤圭介が借りて竹斎に模写させたのである。その後、?資生圃百合図?の原本は行方不明とされていたが、大石氏によると、今回展示中のユリ図譜と国会図書館所蔵の図譜を比較してみると、構図?彩色ともにそっくりのものが多数見つかり、展示中の図譜は?資生圃百合図?の原本と考えられる、ということである。おそらくはクラマーの手元に戻った図譜が、何らかの経緯により、友人であったサヴァティエの手に渡ったものと考えられる。
植物画に詳しい大場秀章氏(東京大学名誉教授、総合研究博物館特招研究員)によると、今回の原本と考えられる図譜の発見は、?資生圃百合図?のもととなった図の数や画風、作成年代などを明らかにするとともに、江戸時代末期から明治時代初頭にかけての国内外の植物学者や植物画家の交流など、植物文化史的にも貴重な発見と考えられる、ということである。
詳細な図の比較、画家の推定などについては今後調査を進める必要があるが、展示中のユリ図譜は特別展終了(5月31日まで)後に速やかに返却する必要があることから、会期中に見ていただきたく、取り急ぎ公表を行うこととする。
3.参考:
特别展示?维新とフランス -日仏学术交流の黎明?展
4.问い合わせ先:
西野嘉章(东京大学総合研究博物馆?教授)
5.用语解説:
サヴァティエ: フランスの植物研究家?採集家、医师。1865年、横须贺製鉄所(横须贺造船所)の医官として来日。自身や採集家の协力を得て、数多くの标本をパリ博物馆のフランシェに送る。フランシェとの共着?日本野生植物目録?は、现在でも日本の植物相研究の基础的文献である。
加藤竹斎: 植物画家。明治4年に创设された博物局(后に国立博物馆に合流)に所属し、明治14年から东京大学小石川植物园御用係となり明治19年まで植物画を描く。
马场大助: 旗本、本草家。名は克昌、仲达、字は利光、号は资生圃、紫栏。江戸の生まれ。代々、番方を务めた旗本の家に生まれる。大名?旗本による博物学同好会?赭鞭会の有力同人の一人。画家としても着名。
クラマー(Carl Kramer): 園芸家、植物学者。1867年ヴィーチ商会のプラントハンターとして来日。サヴァティエと交友を持ち、植物採集に協力。
伊藤圭介: 本草学者、植物学者、男爵、东京帝国大学名誉教授。爱知県名古屋市出身。幼い顷より植物に兴味を持ち、本草学者の水谷豊文に师事する。明治10年、东京大学が开学すると教授に就任し、小石川植物园を担当する。我が国最初の理学博士号を受ける。
6.添付资料:
図譜の画像が必要な場合は、問い合わせ先にご連絡下さい。
展示中の?和洋ユリ彩色図谱?より
东京大学総合研究博物馆発行
「維新とフランス -日仏学術交流の黎明」図録(2009)所収.