平成27年度卒业式総长告辞


式辞?告辞集 平成27年度东京大学卒业式 総长告辞
本日ここに学士の学位を取得し、卒業式を迎えられた10学部、2,996名の卒业生の皆さんに、東京大学の教職員を代表して心からお祝いを申し上げます。入学後、勉学に励まれ、研鑽を積まれてきた皆さんの栄誉をここに称えます。また、この日にいたるまでの長い年月、皆さんの勉学を支えてこられたご家族の皆様方のご労苦にたいし、敬意と感謝の意を表します。東京大学は本年4月に139 周年を迎えますが、本学の卒业生は皆さんを含め合計276,762名となりました。
私は昨年4月に総長に就任致しました。皆さんは私が総長として送り出す最初の卒业生となります。そして4月から皆さんは、社会あるいは大学院において、「東京大学の卒业生」として行動していくことになります。皆さんはいまこの場所で、学士の学位記を手にし、大学でのこれまでの生活を振り返っていることでしょう。
大学という场で自分の进路について迷った人も、それぞれが决めた専门に进んでからは、卒业研究やゼミを通して、学问が持つ力に直接触れることが出来たのではないでしょうか。学问とは、答えの用意されていない课题に対して、自ら调べ考えたことを论理的に整理し、结论を与えていくプロセスです。知识を吸収することが中心であった高等学校までの学习とはまったく异质な学びの体験であったと思います。そして何よりも重要なことは、生みだされた新しい知识は人类が共有する资产として、永く受け継がれていくということです。もちろん手探りの苦労もあったはずですが、新しい知を自分が真っ先に手にする兴奋を感じた瞬间もあったのではないでしょうか。それがすなわち、学问を先人たちとともに创る喜びです。皆さんひとりひとりが东京大学で何を学んだのか、今ここで反芻し、心に深く刻み込んで下さい。それは皆さんのこれからの人生において活力の源泉となるはずです。
本日はみなさんの卒业を祝う场ではありますが、その一方で私达を袭ったあのつらく痛ましい灾害の経験を私は今、思いおこしています。大震灾の発生から、この3月で5年の歳月が流れました。东京大学においても、この间、多くの教职员や学生がさまざまな復兴支援の活动を行ってきました。私は昨年8月末、被灾した岩手県大槌町にある大気海洋研究所の国际沿岸海洋研究センターを视察致しました。大槌町の市街地域、陆前高田市、后方支援の拠点となった远野市を访ねました。その现场で復兴支援ボランティアとして被灾地の子供达の就学支援を行っている本学の学生诸君に会うことができました。被灾地域は、国による大规模な土木工事がすすめられている一方で、地元が活力を取り戻すには、まだまだ多くの知恵と忍耐が必要であるということを痛感致しました。皆さんの中にも、在学中に復兴支援のボランティアに参加した人が数多くいると思います。そこでの体験は、他では得难い学びとして、きっとみなさんの将来の粮になるはずです。东京大学は、これからも、復兴にむけた贡献を続けていきます。みなさんにもまた、あの巨大な灾害があらわにした私たちの社会の问题が、まだ克服されておらず、解决されていないということを忘れないでいてほしいと思っています。
卒业する皆さんがこれから船出をする海は决して平穏なものではなく、まさに世界の荒海なのです。皆さんが生まれた20世纪は科学の世纪と呼ばれ、科学技术の飞跃的な进歩が牵引力となって、人类の活动范囲は桁违いに拡大しました。高速鉄道やジェット机といった交通手段の発达、あるいは情报通信技术やインターネットの普及などの恩恵を受けて、人々は国境を越えて日常的に交流できるようになりました。このように科学技术の革新によって、暮らしの质は向上し、人々はより豊かになったことは事実です。しかしその一方で、资源の枯渇、地球环境破壊、世界金融不安、地域间格差の拡大、宗教対立など、地球规模の课题がいくつも顕在化しています。今年になってからの世界情势をみても、国际的な金融不安に始まり、中东や东アジアの紧张など、世界はより不安定な方向に向かっているように思えるのです。
これらの课题を解决するには、私たちの知恵はまだまだ不足しています。纷争の解决やその后の処理の方法は、いわゆる「世界大戦」が终わった70年前と本质的には変わっていません。社会や経済を动かす仕组みはそれほどには进歩していないと言わざるを得ないのです。むしろ突出した科学技术の発展を十分に制御できずに、人间や社会の侧が振り回されてしまっているのではないかとさえ思うのです。
日本は、科学技术を牵引力とする工业によって戦后の高度経済成长を达成し、先进国の地位を获得しました。良いものを安くつくり、人々の暮らしに役立てる。オートメーションと品质管理をコアとする高品质大量生产の製造システムは日本発のイノベーションといえるのです。工业の飞跃的発展の中で、日本では1960年代半ばごろから、大気や河川の汚染、车による排ガスや交通事故といったさまざまな社会的な课题を体験しました。先辈たちは、科学技术を駆使してこれらの课题を克服する道を探ってきました。私が子供时代に钓りを楽しんだ多摩川は当时生活排水等で泡だらけでしたが、现在では鮎が住むほどにきれいになっています。これは、そのひとつの成果ととらえてもよいでしょう。
しかしながら、これまでの知識や既存の技術では解決できない問題もあります。21世紀に入って経済の枠組は世界的な規模で大きく変化しています。産業活動のグローバル化が加速度的に進む一方で、国の財政の悪化は止まりません。高齢化と少子化が進行する中で、雇用不安や格差も拡大しています。少子高齢化がこのまま進むと、2050年ごろには、高齢者一人を15歳から64 歳までの働き手、1.3人で支えなければならなくなると予測されています。多くの国が今後経験する課題を、日本は先取りしているかのように見えます。このような人口構造を持つ未来社会において、教育、社会保障、医療あるいは道路や橋といった公共的な生活の基盤をどのように維持すれば良いのでしょうか。限られた労働力でお互いを支え合う為には経済をどのように動かせば良いのでしょうか。社会の仕組みそのものを新しいものに変えていかねばならないのです。皆さんが私たちとともにそのモデルを考案して実践し、それを日本から発信していくことが必要なのです。
このように、知をもって人类社会に贡献し行动する人材を私は「知のプロフェッショナル」と呼ぶことにしました。「知のプロフェッショナル」となるには、まず3つの基础力を养う必要があります。3つの基础力とは、「自ら新しい発想を生み出す力」、あきらめず「忍耐强く考え続ける力」、そして「自ら原理に立ち戻って考える力」です。そしてこれらをベースとして、さまざまな人々と连携し、実际の行动に结びつけていかねばなりません。そのためには、「多様性を尊重する精神」とそれをもとに自分の立ち位置を见据える「自らを相対化できる広い视野」が必要です。人々の国籍、性别、年齢、言语、文化、宗教などの违いを大切にし、互いの个性の多様性を认めることが基盘となります。広い视野は、自分と异なる个性を尊重するところから生まれてくるものです。そうしてはじめて、自らと异なるものを理解し尊重し、他者と协调、共鸣する行动に繋がるのです。
东京大学での学びを通じて、この「知のプロフェッショナル」としての资质を备えたみなさんには、立ちあらわれる课题にひるまず果敢に取り组み、人类社会に贡献するための挑戦をこれからも続けていただきたいのです。
さて、それならば、経済や社会を动かす新しいモデルを构筑していく、そのヒントはどこにあるのでしょうか。そもそも、资本主义や民主主义といった现代社会を支える基本的な仕组みは、人类が长い年月をかけ、知恵を绞って作りあげてきたものです。しかしそれは决して万能の原理ではありません。発生する时代の课题に対峙しながら、知恵を出し、そのつど修正を続けてきたものです。个々の人々が自発的で意欲をもって行动し、その活动の総和が人类全体を平和で安定した道筋にそって、発展に导いてゆくには、どうするべきなのか。それが今、私达に问われているのです。国によるコントロールや市场の原理にただゆだねるのではなく、地球社会をどのように调和のとれた形で駆动できるのかという难问なのです。
じつは1970年代に同じような问题意识を抱いていた日本人研究者がいました。シカゴ大学の教授を経て、本学で経済学を教えられた宇沢弘文名誉教授です。宇沢先生は、本学理学部の数学科に学び、経済?社会の问题と取り组むために経済学に転向した异色の学者です。公司の成长や投资行动という复雑な现象を数学的なモデルで精緻に表现したという业绩は世界的に有名です。とりわけ投资関数についての业绩は、ペンローズ先生の名前とともに、「宇沢ペンローズ関数」として広く知られています。
宇沢先生が36歳の若さで教授に抜擢されたシカゴ大学は、1960年代の市场原理主义の経済学のメッカでした。市场原理主义は、政府の関与を极力小さくし、人々の自由な活动を駆动力とすれば経済も社会もうまく発展していくという考えです。ところが、宇沢先生は専门の数理的な考察の结果だったのかもしれませんが、その延长上には持続的で安定的な成长はないと感じられていた様です。ベトナム戦争に対する落胆もあり、1968年に东京大学に戻られるのですが、その顷日本では自动车の排気ガスによる公害などが深刻化していました。先生は当时のだれもが疑おうとしなかった自动车の効用を、学问の立场から彻底的に批判していきます。その真挚な问いは先生自身のライフスタイルとも结びついた行动的なものでした。长い白髭を生やして、白いランニングシャツ姿でジョギングされる光景はキャンパス内でも有名でした。経済学は人々を幸福にするために、社会の医者でなければならないという信念にもとづき、社会的共通资本という考え方を提唱されたのです。人々が共通に利用する教育や医疗などが人类を幸福にする根源的な资源であるという考え方です。そして、こうした社会的共通资本は、利润最大化原理によっては维持しえないものであるということを、宇沢先生は繰り返し强く诉えました。
「知のプロフェッショナル」としての宇沢先生は、卓越した先见性を持って大きな构想に生涯を捧げて挑まれました。しかし、残念なことに、その构想は未完成のまま、先生は一昨年9月に惜しまれつつ亡くなられました。実际に社会と経済を动かす仕组みとするための道筋はまだ明确には见えていないのです。伟大な先辈が思い描いた、素晴らしい着想を発展させて、この社会を駆动する新しいモデルを开発して実践していくことは、次の时代を生きるわれわれに与えられた课题なのです
偉大な「知のプロフェッショナル」と呼ぶべき先輩は、まだまだみなさんの周りにたくさんおられます。昨年、「ニュートリノ振動」の発見により、ノーベル物理学賞を受賞された梶田隆章教授もその一人です。梶田先生の言葉をおかりすれば、先生の発見は「人類の知の地平線を拡大する」ものです。世界の素粒子物理学者達が20世紀の後半にようやく完成させた標準理論には修正が必要であるとする実験的証拠を突きつけたのです。物質や宇宙の成り立ちの根本を支える理論が覆った瞬間です。ノーベル物理学賞の選考委員長のスウェーデン、ルンド大学のアンネ?ルイリエ教授は、「多くの人々に感動を与えるすばらしい業績」と評しています。基礎研究の成果が人々の心を動かすというのは、まさに学問研究の根源的意義の本質をとらえた表現です。このように世界から賞賛を得て日本全体が活気づいたことを、私は非常に嬉しく思いました。この研究は、小柴昌俊先生から、戸塚洋二先生を経て、梶田先生まで40年近く受け継がれたものです。そのような息の長い组织的な研究を東京大学において主導できたことを大変誇りに思います。しかしその背景に、日本が高度成長を遂げ、豊かでかつ平和な国であり続けたこと、そして国民の広い理解によって基礎研究が支えられて継続できたことがあるのです。その支えに感謝することを忘れてはなりません。また、この研究は国内他大学さらには海外からの大勢の研究者や大学院生との連携の中で、初めて実現したものであることも覚えておく必要があります。
皆さんは、先辈たちの后を受け継ぎ、世界中の様々な人々と手を携えながら、难しい诸课题にたいして果敢に挑戦していかなければなりません。その厳しく苦しい作业を成し遂げるために多様な知を束ね、新しい社会を创る担い手となるのです。その力は、东京大学の学士课程を修了したことによって、皆さんに备わっているはずです。みなさんが今手にしている、卒业証书がその証です。これまでの努力に対して夸りをもつと同时に、社会から期待される役割を自覚して、谦虚な姿势を忘れることなく、常に前に向かい、挑戦を続けてください。
「卒业」は终わりを意味するものではありません。学びに终わりはないのです。皆さんと东京大学とのつながりは永远です。东京大学には、いつでも同窓生が集い、互いに成长する机会とそれを支援する资源が揃っています。东京大学は大学院の改革にも取り组んでおり、いったん社会人になったあとでも、その経験を活かして大学院に戻って学ぶことを支援する制度を充実させたいと考えています。
解决すべき问题を见つけたにもかかわらず、どうしても迫り方や解き方がわからなくなったら、そのときは「知のプロフェッショナル」の集合体としての东京大学を再び利用して欲しいと思います。挑戦すべき问题が见つからず、なにを考えたらよいかわからない场合には、自らもういちど原点に返ってみてください。知らないことに気がついたとき、新たな学びが始まるのです。
卒业生の皆さんには、今後は様々な場面で、東京大学の作り手の側になっていただきたいと願っています。皆さんの知恵、これから社会で体得する知見は、東京大学をよりよくするための大切な資源です。よりよい教育と研究の環境を備えるために、卒业生だからこそできること、卒业生にしかできないことを是非していただきたいのです。
最後に、卒业生の皆さんが健康であり続けるとともに、これからも東京大学での体験を活かして不断に学び続け、希望に満ちた明るい未来を切り拓くことを祈念します。東京大学は、いつでも、皆さんが必要なときに戻ってこられる場となるように努力します。今日からは、皆さんも東京大学の卒业生として誇りある伝統を背負う一員です。东京大学の歴史が放つ輝きを一層増すように、私たち教職員といっしょに力を合わせて力強く歩んでいきましょう。
本日は诚におめでとうございます。
平成28年 3月25日
東京大学総長 五神 真
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