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思い立ったらすぐに动いてしまう
そんな行动力で、研究者の道へ

大学総合教育研究センター 准教授
大瀧 友里奈
Yurina OTAKI

大瀧 友里奈

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大瀧 友里奈

~読书が好き、环境问题に兴味のある子どもでした~

 小さい顷から环境に兴味がありました。小学校2、3年の时に公害问题の话を闻いてそれがとても心に响き、自分で环境问题の本を読んで、环境と関わる仕事をしたいと思いました。その时に、「环境庁」という役所があることを知り、「ああ、ここで働けばいいんだ」と思って、环境庁に手纸を出したんです。「私は环境庁で働きたいと思いますが、どうしたらいいですか」という漠然とした质问だったのですが、「例えば东京大学工学部都市工学科から环境庁に来ている人がいます。また、他大学のこういう学部から来ている人もいます。まず、そういう大学をめざして、その后に将来を考えたらどうでしょうか」というお返事をいただきました。小学生の手纸に真挚に答えていただいたことは、今思うととてもありがたいです。

~环境への兴味は続き、东大にも手纸を~

 中学?高校时代も环境への兴味は続きました。当时は1980年代で、大気汚染や地球温暖化が问题になりはじめた时期だったので、环境にかかわる仕事をしたいという意欲もふくらんでいたのだと思います。高校に入る顷に、东大の工学部都市工学科に手纸を书きました。「环境庁に都市工学科のことを教えてもらいました。私はこういうことがしたいのですが、そちらに行けばできますか」と寻ねたところ、「ここに来ればできるから、がんばりなさい」というお返事をいただきました。それで、东大の工学部都市工学科が进学の目标になりました。

~思い立ったら行动することで、道を开いてきた~

 これは长所でもあり、欠点でもあるのですが、私は思い立ったらすぐに行动してしまいます。环境庁や东大への手纸が、それを端的にあらわしています。うまくいけば道が开けるわけですが、もう少しよく考えた方が良かったと思うことも多々あります(笑)。

 东大に合格したときには、手纸にお返事をくださった花木启祐先生から「合格おめでとう」というお手纸をいただき、私のことを覚えていてくださったことが嬉しく、早く専门课程に进んで学びたいという気持ちを强く抱きました。花木先生には、その后、博士论文の副指导教官として大変お世话になることになりました。

~チアリーダーをやり、环境微生物学の研究室へ~

 大学では勉强もそれ以外も、とても楽しく过ごしました。私は野球が好きなので、これもすぐに「マネージャーになりたい」と野球部に行きました。すると、「女子マネはとってないけれど、野球が好きなら応援部に入ってチアリーダーになったら」と言われたので、教养学部の2年间はチアリーダーとして神宫球场に通っていました。

 教养学部では一般教养の讲义が面白く、理系の私がそれまで全く知らなかった法学や心理学の讲义にすっかりはまっていましたが、3年の进路选択の时にはやはり目标としてきた都市工学科环境?卫生工学コースを选びました。都市工学科で味埜俊先生の「环境微生物学」の讲义がとても面白く、梦中になりました。卒论は味埜先生のもと、「水と関わる微生物がどういう代谢をしているか」を研究しました。この研究は本当に面白くて、そのまま大学院の修士课程まで実験叁昧の日々を过ごしました。

~研究を离れ、就职して新しい世界を见る~

 修士课程を修了后、株式会社日本たばこ产业(闯罢)に就职しました。就职をするか研究を続けるか悩んだこともありましたが、社会経験を积みたいという気持ちがまさりました。就职に际しては、いろいろな経纬がありましたが、社员の方が活気にあふれていたのと、グローバルな视点で仕事をする公司であることに魅力を感じて闯罢を选択しました。

 闯罢では海外事业部に配属され、研究とはまったく関係のない仕事をしていました。当时の闯罢は民営化后10年くらいたった时期で30代、40代の社员に活力があり、若者や女性を育てようという意识の高さを感じました。経験のない私でも、海外进出プロジェクトチームの一员として働くことができました。毎日终电で帰るような生活が続きましたが、情报収集力、様々な意见をとりまとめる力、仕事に必要なスピード感をこの时に养うことができました。ここでの経験は私の宝物の一つであり、今の仕事にも大いに生かされています。ただ、ひとつのビッグプロジェクトを达成したところで、ふと、もう一度学びたいな、という気持ちがふつふつと涌いてきました。ちょうどそのタイミングで、都市工学科でお世话になった松尾友矩先生の退官讲义があり、环境を歴史から纽解き现代社会の问题にまでつなげるような壮大なお话を闻きました。それに大変感动し?「あぁ、やっぱりもう一度大学で学ぼう」と决心し、それが私の転机になりました。

~文理融合の大学院に再入学、好きな研究の道へ~

 この时期に东京大学で情报学环学际情报学府という文理融合の新しい大学院ができるという话を闻きました。そしてそこで教えることになった佐仓统先生の『现代思想としての环境问题』という本を読み、环境に対する别のアプローチの仕方もあるのだと実感し、先生に会いに行きました。先生に自分の考えをお话し、「先生の研究テーマと合いますか」とうかがったところ、「面白そうだから受けてみたら」と言われて修士课程から入り直しました。できたばかりの大学院なので、まだ修士课程しかありませんでしたから。この大学院の学生は年代も経歴も多彩で、皆で话をすることでたくさんの刺激を受けました。一期生は40~50人くらいでしたが、先生も学生もみんなで新しい大学院を作っていこうという热気にあふれていました。

 ここの修士课程では「江戸の水と卫生を考える」という、卫生工学と歴史学を融合させた研究をしました。その后、タイ王国でフィールドワークをしながら、「生活の中でどういう水をどのようにどのくらい使っているのか」を调査しました。并行して、シンガポールの図书馆にこもって文献调査をしたり、东京における水のシステムと人々の使い方の歴史を调べたりして、それらをまとめて博士论文にしました。

~修士の时に结婚、大学総合教育研究センター就职~

 2度目の修士课程のときに结婚しました。相手は都市工学科の先辈で、野球部の元エース。今は别の大学で教员をしています。

 会社を辞めてからは、やりたいことをやって、それがだめになったらまた别の道が开けると思っていたので、结婚がキャリアの妨げになるとは考えませんでした。夫も研究者なので、自分が研究を进めていくうえで、よきアドバイザーになってくれています。

 大学院の博士课程を単位取得退学したあと、博士论文提出の见込みがついた2006年に大学総合教育研究センターに就职し、博士号は2006年10月に取得しました。现在、私はこのセンターの全学教育推进部门にいます。私の専门は教育ではありませんが、情报学环?学际情报学府で学んだのでどんな分野の话もそれなりに理解できますし、ビジネスの世界にもいたので、その世界のこともわかります。また、人脉や情报のありかも知っているので、こういう时には谁に相谈すればよいのか、ということがわかっています。ですから私の役割は、教育の方法论と専门知识を结びつけることだと思っています。

 具体的には、教养学部の1、2年生に向けた「学术俯瞰讲义」の企画运営から、东京大学オープンコースウェア(鲍罢翱颁奥)での公开までを担当しています。伟い先生の讲义をただ闻かせるだけにはしたくないので、先生方には「知识ではなく考え方を教えてください」とお愿いして、学生と専门家の桥渡し役になる努力をしています。

~やりたいことをやって、その先はまた考える~

 私はその时その时で、やりたいと思うことをやってきました。特に会社を辞めてからは、先のことはどうなるかわからないけれど、それは先になってから考えれば良いと思ってきました。自分で决めて行动したことは、その时は一见无駄に见えることでも、総合してみれば无駄だったことなんて一つもありませんでした。経歴を见たら回り道ばかりしているように见える私が、それは自信を持っていえることです。女子学生の皆さんにも、今やりたいと思っていることをやってみることをすすめます。

 「これがやりたい」と思ったらすぐに手纸を出したり、会いに行って话を闻いたりするのが私の性分です。高校生の顷に出した手纸が、まさに今の自分につながっていると思います。行动することで自分のやりたいことがはっきりしたり、目标ができたりすることも多いので、自分から行动を起こすことはとても大事だと思っています。

(2012年2月取材)


※本インタビューは科学技术振兴机构(闯厂罢)による「女子中高生の理系进路选択支援プログラム」の支援を受け、作成しています。

プロフィール:
大瀧 友里奈 (Yurina OTAKI)
东京大学大学総合教育研究センター
准教授

东京大学工学部都市工学科卒业。同大学院工学系研究科都市工学専攻修士课程修了。日本たばこ产业(株)での就労后、东京大学大学院学际情报学府修士课程入学、同博士课程修了。同大学院総合文化研究科特任教员を経て同大学大学総合教育研究センター特任助教、その后现职。