第1185回淡青評論

七徳堂鬼瓦

东京大学と教育の国際化 ― 二つの見方

东京大学における教育の国際化が大学全体の課題として認識され、英語により教育を行う新たな組織の設置についても現在準備が進んでいます。そうした中において、2012年に開始し現在まで継続している、本学の英語による四年制の学部プログラムであるPEAK(Programs in English at Komaba)の経験は有用な知見を提供するものであるかと思います。

私は笔贰础碍が始まってからしばらくした2017年に本学に着任しました。着任后は一贯して笔贰础碍の教育に携わってきましたが、その间英语プログラムのあり方に関して大きく分けて二つの相反する意见を常に闻いていたように思います。それは一つには、教育において英语を使用しても东大の既存の教育内容自体は大きく改変しない形で(「质を下げない」形で)提供すべきという意见であり、もう一つは、英语化を契机として、东京大学における教育自体を「グローバルな」大学教育のモデルに适合させていく必要があるという意见です。対极にあるともいえる二つの立场ですが、私自身が学生あるいは研究者として米国とドイツに合わせて约10年间いた経験とも照らし合わせてみて、どちらの意见についても、大学というものがそれぞれの国の社会の特徴やニーズを体现したものであり、そのありようも国ごとにかなり异なるという事実についての过小评価がいささかあるようにも感じていました。

一方では、外国から多数の学生や教员を东大に受け入れるにあたっては、言语に限らず、大学のカリキュラムやその他のシステム自体の変革が必要となることは実感します。东大の现在のシステムが、それらの人たちのポテンシャルを十分に発挥できるものにはなっていないからです。他方で、大学がそれぞれの国特有の文化や社会のありように依存しないという意味での「グローバル」な大学というものはそもそも世界のどこにも存在しないというのも事実です。その意味では、东大における教育が例えば英语圏のトップ大学のものと何らかの面で异なっていたとしても、「异なる」ということをもって「変えるべき」とは必ずしもならないようにも思います。実际、笔贰础碍の学生についても、自分が育った文化とは大きく异なる文化の中に身を置きたいという期待のもとに、日本的な教育环境を求めて东大を选んでいるという学生も多いような印象を持っています。

笔贰础碍は2026年度の学生募集を最后とすることが决まりましたが、教育の国际化をめぐるこのような议论は今后も东大において継続していくものと思います。

成田大树
(総合文化研究科)

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